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医療安全について考えていきます。

vol.2 水晶体防護編<詳細版>

「放射線白内障」の要因となる、
水晶体の被ばくから身を守りましょう。

放射線医療の現場で、近年、関心が高まっているのが水晶体の被ばくの問題です。放射線白内障はどのようにして起こるのか、防護のためにどのようなことを知っておくべきか‥‥、最新の情報や臨床データを交えながらまとめました。

◎監修:産業医科大学 産業生態科学研究所 放射線健康医学研究室 孫略博士

1.放射線白内障とは

水晶体の被ばくから起きる「放射線白内障」。

水晶体はカメラでいうとレンズの役割を果たしています。碁石のような形をした構造物で、薄くなったり、分厚くなったりしながら光の焦点を合わせ、網膜に光を投射しています。本来は無色透明のものですが、放射線を浴びると内側の細胞に異常が起こり、その変性した細胞によって白濁が生じます。これが放射線白内障のはじまりです。

水晶体の生物学
〜細胞は増殖を続け、そのすべてが生涯にわたり水晶体内にとどまる。

水晶体の構造と生物学的特徴について、もう少し詳しくお話ししましょう。水晶体は透明な「繊維細胞」と前面一層の「上皮細胞」から構成されていますが、一部の上皮細胞(「水晶体幹細胞」と考えられている)は生涯にわたって細胞分裂を続け、繊維細胞を供給しています。その細胞分裂の過程で、核、ミトコンドリア、小胞体などのオルガネラ(細胞内器官)が失われ、繊維細胞は透明なものとなっていきます。そして、水晶体幹細胞が増殖する一方で、水晶体には体の他の組織のように、不要になった細胞や損傷を受けた細胞を排除するシステムがありません。そのため、水晶体の体積は出生時の3倍程度まで成長するともいわれています。

放射線白内障の生物学
〜変性した細胞の蓄積が水晶体の白濁を引き起こす。

水晶体幹細胞が被ばくすると突然変異が起き、透明な繊維細胞への分化がうまくいかなくなります。すると、混濁した細胞を作り出し、その異常な幹細胞は不断に増殖します。それが、水晶体の中に徐々に蓄積され、放射線白内障へと進行していきます。

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放射線生物学から考える、「なぜ、水晶体は放射線に弱いのか?」

一般に体の組織には、アポトーシス※1や細胞競合※2によってダメージを受けた幹細胞が脱落する仕組みがあります。しかし、水晶体にはそのような細胞の排除機構がなく、不要になった細胞が生涯にわたってとどまりつづけることがわかっています。さらに、一般的な細胞は被ばくにより増殖能が失われますが、一部の水晶体上皮細胞においては、むしろ増殖が亢進するとも報告されています。つまり、放射線白内障が起こりやすい背景には、放射線によって障害を受けた上皮細胞が脱落せず、細胞が異常増殖を続けるという水晶体ならではの特殊性があるといえそうです。

※1)アポトーシス‥‥個体(組織)をより良い状態に保つために起こる細胞死(自発的細胞死、プログラム死とも呼ばれる)。
※2)細胞競合‥‥適応度の高い細胞が生き残り、適応度の低い細胞が排除されること。

病変は数年から数十年後に現れます。

白濁の症状は、低線量の被ばくの場合は早くて数年、長いときには数十年後に発生します。最初は小さな斑点(vacuoles)として現れますが、やがて白内障へと進展すると重度の視力障害を引き起こし、手術が必要となります。放射線白内障でとくに多いのが、水晶体の後部が濁る後嚢下白内障と、核のまわりが濁る皮質白内障です。

水晶体被ばくの基準値等について

2011年、国際機関ICRPより、
水晶体被ばくのより厳しい「しきい線量」が示されました。

わが国では、放射線を扱う仕事に従事する人々の「個人の被ばく限度」が法律で定められていますが、その指標となっているのが国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告です。2011年、ICRPは最新の研究に基づく水晶体被ばくの「しきい線量」を示しました。しきい線量(閾線量)とは、「その線量以下なら健康への影響がない」とされる値のことですが、下表の通り、新勧告では従来より大幅に厳しい数値が採用されました。

Notice 手に触れるあらゆるものが感染の媒介になります。

※線量限度は、「五年間の平均で20mSv/年以下であること」に加え、「単年で50mSv/年以下」であることも必要です。

いまになって、一気に厳しい水準へと引き下げられた理由は?

今回の引き下げの背景には、近年の研究で被ばくと白内障の関係がいっそう明らかになり、「従来の基準では不十分だ」と判断されたことがあります。被ばくによる長期的な人体影響を調査するうえでもっとも信頼できるのは、広島・長崎の原爆被爆生存者およびチェルノブイリ原発事故の清掃員の疫学データだと考えられていますが、昨今はその追跡調査期間がいっそう長くなりました。さらに診断方法も進化したことから、それまでには検出できなかった白内障も発見されるようになったことが、しきい線量が下がった主な理由と考えられています。

新・しきい線量0.5Gyの根拠は?

2011年のICRP勧告ではそれらの結果を踏まえ、急性被ばく・慢性被ばく・分割被ばくのいずれの場合もしきい線量は0.5Gyが妥当だとみなされました。その根拠は以下のものであると考えられます。

[急性被ばく] 事故などによって短時間に線量を受けることを急性被ばくといいます。近年の広島・長崎の原爆被爆者の疫学データから、白内障のしきい線量は0.4~0.7Gy程度と見積もられており、これらの報告が急性被ばくのしきい線量の根拠となっています。

[分割被ばく・慢性被ばく] 医療の現場などでの複数回にわたる被ばくを分割被ばく、原発事故の被災地などでの長期間にわたる被ばくを慢性被ばくといいます。チェルノブイリ事故清掃員や放射線業務従事者などの疫学調査から、しきい線量は0.5Gyを超えないと判断され、急性被ばくと同じ0.5Gyに設定されています。

小さな白濁も白内障の第一歩。
よりシビアな判断がなされた『ソウル声明』。

1981年、ICRPは『Publication 41』の中でしきい線量を発表しましたが、そこでは視覚障害を伴わない「白濁」と視覚障害を伴う「白内障」に分けて、それぞれの数値が設定されました。一方、最新のしきい線量が発表された2011年の『ソウル声明』では、「白内障」のみの数値が設定されています。その理由は、「どんな微細な白濁も、将来的には視覚障害を伴う白内障へと発展しうる」と仮定されたことにあります。ICRPはこの仮定を採用した根拠を示していませんが、最新の生物学研究を参考にした可能性はあります。また、『Publication 41』における「白濁」のしきい線量と『ソウル声明』の「白内障」のしきい線量が奇しくも同じ0.5Gyであったため、従来の「白濁」のしきい線量がそのまま「白内障」のしきい線量に置き換わったと考えることもできます。

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水晶体被ばくには「線量率効果」があてはまらない!?

同線量の被ばくなら、高線量率で短時間で被ばくしたときよりも、低線量率で長期間にわたって被ばくしたときのほうが放射線の影響は小さくなることが知られています。これを「線量率効果」と呼びます。しかし、『ソウル声明』では、急性被ばく、分割被ばく、慢性被ばくのすべてに同じしきい線量が設定されました。すなわち、水晶体には「線量率効果」があてはまらず、被ばくによる影響がすべて蓄積される可能性があることを示唆しています。

基準を守っていれば安心とは考えず、できるかぎりの防護に努めることが大切です。

放射線白内障の発生メカニズムには未解明な点が多く、下のコラムでご紹介している通り、ICRPの見解は今後さらに変わる可能性もあります。したがって、現在、示されているしきい線量は重要な基準となりますが、「しきい線量を守っていれば安心」とは考えず、日ごろからできるかぎり水晶体被ばくを低減することが大切です。

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将来的には、しきい値がさらに引き下げられたり、
しきい値そのものが撤廃されたりする可能性も?!

理由 1:急性被ばくのしきい線量の根拠となった広島・長崎の原爆被ばく者の疫学データでは、しきい線量に対する90%または95%の信頼区間が0Gyを含んでいる。
理由 2:しきい線量に対する90%または95%の信頼区間が0Gyを含んでいる。
理由 3:動物実験では、水晶体の白濁は線量の増加に比例して直線的に増加する。
生物学的には、たった一つの水晶体幹細胞の異常からでも白内障が生じうると考えられる。

もう一つの『ソウル声明』。
初めて設定された、血管疾患のしきい線量。

2011年の『ソウル声明』では放射線白内障のしきい線量が大幅に引き下げられ、世界各国で大きな注目を浴びましたが、このとき、じつはもう一つ、重大な発表がなされました。それは、「心臓と脳の血管疾患のしきい線量は0.5Gy」という設定がなされたことです。それまで、この領域に対するしきい線量は設けられていませんでしたが、この『ソウル声明』で新たに設定され、それも0.5Gyというきわめて厳しい基準が示されたわけです。こちらも最新の疫学の知見に基づき設定されましたが、十分な科学的根拠があるわけではなく、医療従事者への警鐘という側面が多分にあるといえそうです。今後、さらなる研究によって、科学的裏づけがなされることが期待されています。

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