保科製作所 2014年X線防護用品 総合カタログ page 4/36

保科製作所 2014年X線防護用品 総合カタログ

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保科製作所 2014年X線防護用品 総合カタログ

C!a"smanship『保科型』の往診用バッグ。当時は『ホシナベスト印』というブランド名を使用していた。1970年ごろに制作された往診用カバンのカタログ。鉛入りのゴム素材をエプロン型に型抜きし、縫製して作られた『JIS前掛』。旧JIS規格の厳しい条件を満たしており、製品には信頼の証であるJISマークが刻印されていた。保科製作所のものづくり???????? 年(大正?? 年)、保科製作所は現在と同じ東京都文京区本郷二丁目で、個人商店として開業しました。皮革の縫製技術に習熟していた創業者が手がけたのが、町の医師らが使う往診用カバンの製作です。分厚い革を縫製して作るこのカバンは、頑丈で、大きく開く口の内側にはケースが付属、聴診器などの道具や消毒用品が機能的に収納できるようになっていました。通称『保科型』という特許も取得、創業期から昭和???? 年代までの長きにわたり、全国の医師たちのもとで愛用されました。1913 年、『往診用カバン』の工房として創業。原点に、職人の業わざ。その後、保科製作所が取り組んだのが??線防護用品の製造です。主要製品は『防護板』といい、レントゲン装置の管球を覆い、放射線の散乱を防ぐ役割を果たしていました。そして、???????? 年(昭和???? 年)、『第五福竜丸事件』が起こります。マグロ漁船??第五福竜丸がアメリカ軍の水爆実験による死の灰を多量に浴び、乗組員全員が放射能に被ばくしたというものですが、ある意味、この出来事が保科製作所の行く道を決定づけました。なぜなら、???????? 年代といえば、国内でレントゲン技術が普及しはじめた時期。事件を通じ、放射能の恐ろしさをだれもが痛感する一方で、人々の暮らしと放射線が今後ますます関わりを深めていくであろうことも予測されていました。そんな状況を受け、保科製作所がみずからの使命として課したのが「より優れた?? 線防護用品を世の中に届けること」だったのです。なかでも往診用カバンづくりで培った職人技が生かせるものとして精力的に取り組んだのが?? 線防護衣の開発でした。そして、完成したのが、日本における?? 線防護衣の草分けとなった『?????? 前掛』です。レントゲンの普及ともあいまって、『?????? 前掛』には発売当初より全国から続々と引き合いがありました。その後も改良を重ねながら機能性や信頼性をアップ。バングラディシュ、サウジアラビアなど海外の国々にも数多く輸出されました。時代に先行して、X線防護衣の開発に着手。??